私、このキッチンナイフレコーズの人であると同時に、クリスチャンロックレーベルであるCalling Recordsのメタル課長も兼任しておりますので、そちらの情報も流させていただきます。 我らが敬愛するXie (サイ)の皆さんが、なんだかすっごいニューアルバムを作っている模様です。 そして、なんだかすっごいスタジオでレコーディングをしている様子がYouTubeにアップされています。 あれですね、ちょうど「インディーバンドの録音の考え方」とかいう文章を書こうとして、しかも基本宅録でっていうラインで一連の記事を書こうとしていたところ、ばっちりプロ仕様のスタジオでレコーディングを始められたXieさん。何処のスタジオなのかはまだ聞いてませんが、タイムリー過ぎます。 レコーディングのあるべき姿というものは、バンドごとに違います。そして、その音楽ごとに、「そうあるべき形」というものがあります。 勢い重視のハードコアパンクバンド、リスナーとの距離感を重視する女性弾き語りシンガー、内省的なエレクトロニカ、弦楽四重奏、などなど、それぞれに適した録音制作の形があるのは言うまでもありません。 そして今はその選択を、昔と比べてはるかに自由に選べる時代です。 (逆に今の時代にあっては、高級路線のハードコアパンクや、宅録志向の弦楽四重奏があってもおかしくありません。) Xieの皆さんは、それぞれがこれまで音楽業界の中でプロとして活躍されてきた人たちです。そんな技術と経験を持った人たちだからこそ、こういったスタジオでの録音で実力を発揮できるということが言えると思います。 狙っている音が、そのへんにある、ということです。 大事なのは「どのへんの立ち位置」を目指して音を鳴らすのか。そこにあると私は思います。 クリスチャンロックバンドとして生まれ変わり、独自の「エバンジェロック」に向き合ってからの2枚目となるこのXieさんのアルバム。きっと、さらにパワーアップした超ハイレベルな音を届けてくれるでしょう。 完成を楽しみにしていようと思います。 Xieさんのホームページはこちらhttp://xiete.com/
音楽制作
インディーズバンドにとっての録音制作の考え方(その1)
インディーバンドにとってのレコーディング。 インディペンデントな姿勢で音楽を作っていこうとするアーティストにとって、レコーディングというものをどう考えればいいのか。 この文章は、 インディバンド、インディーアーティストは、今の時代の生き方として、自分で自分の作品を録音制作出来なければいけない。 意欲的に生きようとする現代のインディアーティストにとって、自分で録音制作を形にするスキルは、必須のものである。 という前提のもとで、 どうやってそこに向き合っていくか、ということについて書くことを意図している。 本当は、理想を言えば、ちゃんとしたスタジオで録りたいんだよね。 ちゃんとしたスタジオ、っていうのは、つまり、 世界の一流のアーティストがレコーディングをするような、 世界でもトップクラスのスタジオで、 深い才覚と経験を備えた一流のプロデューサーの下で、 一流の技術を持ったエンジニアと共に、 世界最高クラスの機材を使い、 予算に糸目をつけず、時間もたっぷり使って、 創意工夫にあふれた芸術作品を作りたい。 そして、それを、そのジャンルの一流の作品をたくさん手がけている しかるべきマスタリングスタジオ、マスタリングエンジニアに任せて、 いったい何億円するんだかわかんないようなシグナルチェーンを通じて、 最終的にリスナーに届ける音を仕上げたい。 これが理想なんだよね。 これが、唯一にして最高の理想であるのは、誰でも同じだと思う。 でも、現実には違う。 現実には、そんな環境でレコーディングをすることの出来る人間は、限られている。 少なくとも僕は、そんな環境でレコーディングをしたことは、それに近い経験は、確かに一度か二度はしたかもしれないが、基本的には無いし、そしてこれからも、おそらくは無い。 時代状況を考えれば、余計にそうだと思う。 80年代に名を馳せた憧れのアーティストたちも、2010年代以降の作品は、セルフプロデュースになっていたり、コストをかけずにホームスタジオで録音するようなことが、明らかに増えている。 そういったワークフローは、現代の音楽業界ではたぶん普通のことになっているし、そういった設備やスキルを持つことも、現実の上では必須になっている。 (そして、そのクオリティは、残念なものであることが、結構多い。) そもそもが、プロモーションでさえインターネットを通じて自前でやらなければいけない時代だ。それは、実績のある有名なベテランアーティストでさえそうである。 だから、これから音楽人生をスタートしようという、無名のインディアーティスト、インディバンドにとってはなおさらだ。 レコーディング、録音制作、つまりは作品づくり、そこにどう向き合うのか。 個人レベルのデジタル録音が可能になった1990年の後半あたりから、これは既に浮上してきて久しいテーマではあるけれども。 自主性を持って、自らの生きる道を能動的に選び取りたいアーティストにとって、これは絶対的に向き合わないといけないテーマだと言える。 環境にめぐまれている人は、一流のスタジオで録音すればいい。 それは素晴らしいことだ。素晴らしい価値のあることだ。 選ばれた人でなければ出来ないことだからだ。 だけれども、そういった高価なレコーディングスタジオで自らの楽曲を録音する立場になる、そういった立場に立つ、ということは、たぶん実際のところ、様々な責任や制約も伴うことになる。 そして、たとえそういった一流のスタジオで、一流の機材を使い、一流のプロデューサーや、一流のミュージシャンたちと作業をしたとしても、その作品が成功するとは限らない。 つまり、本当に納得のいく作品が作れるとは、限らない。 なぜなら、音楽とは、そんなに甘いものではないからだ。 音楽とは、たとえ世界一流の技術や才能をもってしても、人間の手におえるほど、単純なものではないからだ。 音楽とは、それほど深いものだからだ。 感じることは出来ても、目には見えない、そして手につかむことも出来ない、 形のない真実だからだ。 そんな「音楽」という、底の知れない謎に、一人の無名のインディアーティストとして向き合う。 そんな途方も無い勇気を持ったアーティストたちに、この文章を捧げたい。 続く。 (たぶん) – (写真は、2011年にアメリカはテキサス州某所の「ちょっといいスタジオ」でレコーディングの機会を頂いた時のワタシ。- その際の録音の結果は、Imari Tonesの”Japan Metal Jesus”というアルバムを聴いてみてください。)